| 楽園に暮らす 葡萄稔る 50体育の日 2003・10・13 |
| 体育の日 僕は世帯を持つまでに3回引越しをしたが、孟子の 三遷ではないけれども、ことごとく学校の前であった。 だから、10月に入ると、運動会のシーズンは気分が 滅入るのである。本番ならともかく練習がうるさくて かなわんのである。 マイクのテストとか、進行役の練習とか、音量を上げて がなりたてる。行進曲のレコードは鳴らしっ放し。 これはもう公害である。 ところが、思い出となると、運動会は格別に楽しい 思いに満たされる。小学6年生のときだった。 徒競走で純粋に一番をとりたかった。1年から5年まで とってきた1着を守りたかった。最近急に伸びてきた子に 練習で負けてしまったことが自信喪失に陥っていた。 「うちのトーちゃんが言ってた。ふくらはぎにカラスウリの 汁を塗ると速く走れるんだって。」 学校の帰り道で、 偶然聞いた言葉が気になった。運動会の前の日に 雑木林を走り回ってやっとまだ黄色いカラスウリを 見つけ、当日の朝、入念に塗りつけた。 そして小学校最後の徒競走で、僕は最初にテープを 切ることができた。今でもカラスウリのおかげだと 信じてはいるが、以来短距離走で一位になることは なかった。 あの頃を懐かしむあまり、この地でカラスウリを 探して見た。すぐに見つかると思ったが、探すとなると いつもそうであるように、なかなか見つからない。 運動会の前日のように走り回った。眼につくものは、 アマチャヅルにアレチウリばかり。車でも探して見たが、 目に入るものはクズばかり。あの朱色の実が目立つ 11月末までおあずけとなった。(写真1) 昨日の日曜は、近くの運動会を見物した。(写真2) 簡素な万国旗と勢いよく燃える聖火の アンバランスの中で僕はタイムスリップしていった。 「赤勝て。白勝て。」 今ならどちらでもいいことに、 何であんなに一所懸命になれたのだろうか。 綱引きでも、玉入れでも、昼休み前の鈴割りでも、 とにかくもう夢中だった。だからだろうか、割れた鈴と 垂れ幕を見ながらのお昼ご飯の美味かったこと。 僕んちのお昼は決まってお稲りさんに茹タマゴだった。 そのお稲荷さんは油揚げを3枚に切り、 それぞれすし飯をパンパンに詰める。真ん中の 底のないのにあたると、一気に口に放り込まないと、 破けてご飯が飛び散ることになる。 それでも、それが当たり前と思っていた。 スシ一握りで、2枚切りのまだしわのある油揚げに、 さらに折り返えしがついている、よそのうちの”普通の お稲荷さん”を見た時は、愕然としたものだった。だが、 家族が陣取った席で一緒に食べる我家の”お稲荷さん”は 忘れられない味となっている。 そもそも体育の日は昭和39年(1964)10月10日に 開幕した東京オリンピックを記念して、「スポーツに したしみ,健康な心身をつちかう」日として制定された ものだ。この日が晴れる確率が高く”晴れの特異日”で あったために開会式にあてたそうで、今年も絶好の 秋晴れとなった。今ではこの特異日を忘れて、 第二月曜日に変更されたことは、はなはだ残念なことだ といわざるを得ない。ちなみに今日の体育の日は 肌寒い秋雨(あきさめ)となった。 さて、今年の体育の日をどう過ごすかだが、 ”年寄りの冷や水”になるといけないから、運動会の 真似事は止めて、アウトドアで何かしようと決意した。 といっても、僕にとっては毎日がアウトドアであるから、 気分転換も兼ねて、楽園から出ることにした。 となると晴れることが絶対条件となり、僕の体育の日は 晴れの特異日である10月10日に実施した。 紅葉狩りも期待できる、標高1700mのペケペケ山を 目指した。運動会のあの頃を思い起こして、 勿論、お稲荷さんに茹タマゴを御弁当に用意した。 今回は、まだしわのある、その上、折り返し付の ”贅沢お稲荷さん”である。(写真3) 山頂近くの駐車場まで1時間の久々ぶりのドライブ、 山頂あたりをハイキングすること、昼食入れて1時間、 それでも息は切れて、額にはうっすらと汗。 山頂での見晴らしは360度のパノラマで、 ここから望む富士の姿はまた格別であった。(写真4,5) 「ペケペケちゃんが作った”水っぽいお稲荷さん”も こんな景色の中で食べると美味しいね。」という訳で、 ”懐かしきお稲荷さん”に自己流”体育の日”の新たな 稲荷味の思い出が付け加えられることになった。 |
(写1) 手にできなかった唐朱瓜の幻影色 (写2) ある運動会 (写3) 月見の残りも添えて (写4) ススキに富士 (写5) 紅葉に富士 |
| カラスウリの名前の由来は、「カラスが食べる瓜」だからというのがあるが、カラスが食べるなら 冬まで実がぶら下がっているのはおかしい。逆の、「カラスも食べない瓜」という説が一般には 受け入れられている。ところが、カラスとは関係なく、「唐朱色の瓜、中国から伝わった朱色の瓜」という 説があることを今回知った。僕もあの朱赤色の強い印象から、この説を信じたい。 H15・10・13 |
| 当時の運動会ではまだ、家族が陣取った席で一緒に昼食を食べることが問題とはなっていなかった。 もちろん、親がいない子、親が来れない子のことが気になるほど、思いやりのある子供でもなく、 運動会の楽しい昼休みのひと時をただただ当たり前のことと思っていた。 このように、何かにつけて僕は子供時代を日のあたる場所で過ごしてきた。そのせいだろうか、 大人になって、日があたれば影ができ、表があれば裏もある、そういうことを知ってからは、 影の方の、裏側にいて、いつもひがんで生きてきた感じがする。子供の頃に戻りたいと思うのも、 もしかすると、日のあたる側に戻りたいという気持ちかもしれない。 H15・10・13 |
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